STEALTH

Máy bay tàng hình

Enten=Eller (1)

キルケゴールに言わせれば、「気分」を限りなく「行動」と「シチュエーション」に分節しようとするのが「ドラマ(言葉の演劇ないし古典演劇)」である。ドラマは漠然たる情緒ではなく、思想や理念を提示しようとする演劇だ。そこでは作品を覆う「気分」が過剰であると、「病的な抒情性」という欠陥をもたらすことになる。「劇を発生せしめた気分」は、言葉によって徹頭徹尾思想へと高められねばならない。それに対して、「気分」と「思想」との関係が完全に逆転するのが、オペラである。「オペラにおける統一を保つものは、全体を支える基調である」。オペラにあっては、音楽がつくり出す「一種の交響、一種の共鳴、一種の調和」が、「分離した声の多数における気分の統一」をつくり出すのだ。登場人物たちは一見、自分自身が行動の主体として振舞っているように見えるかもしれない。だがそれは、あくまで言葉によって織り成される、劇の表面にすぎない。言語化視覚化できない何か、沈黙し目を閉じて聴くことによってのみ開示される何か、音楽だけが伝えることのできる気分。これが劇の背後で登場人物たちを衝き動かす力となる。根源的な一つの「鳴り響く気分」が登場人物たちを支配することによって、劇が統一されるドラマーそれがオペラである。

こうしたドラマトゥルギーのありようと大いに関係しているのが、オペラの主人公の性格類型である。周知のように(そしてしばしば物笑いの種になるように)、オペラの主人公は行動の一貫性と無縁だ。感情の極端な振幅、理屈では説明がつかない行動の急旋回、そしてそれらを正当化する口実としての魔法や媚薬や狂乱や夢遊病といった荒唐無稽な筋立ては、オペラの十八番である。(〜中略)ドン・ジョヴァンニは「たえまない浮動状態」にいる、「この浮動状態は音楽的な振動」であり、「再三現れるのだが、決して一定の姿と堅固さを獲得することはない」

 

〜つまりオペラにあって登場人物は、自分の行動の主体ではない。言葉の劇のような分節され自己完結した人格の輪郭は、オペラにはない。音楽だけが表現することのできるデモーニッシュな力(リビドーと言ってもいいだろう)に取り憑かれた人々を主役とするドラマが、オペラである。

 

〜こうした「根本的気分」が、最も直接的な形で提示される場と彼が考えるのが、序曲である。序曲の中で音楽は、「自己みずからの上をただよい、下り立とうとする場所の上を漂う」。そこでは「作品のなかですでに知ったもろもろの力が根源的に蠢き、全威力を持って衝突しあっている」。

 

〜そこで提示された根源的な「力」が、幕が上がってからも劇の背後でたえず振動しつづけ、劇の表面に亀裂が入ると、そこからマグマのように噴出してくるのだ。

 

 

 

ドン・ジョバンニ

音楽的エロス について

岡田暁生氏の解説から。

 

 

Gift from Barry Doupé, almost one season in Saigon

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実家に帰ったら、友達のバリーからプレゼントが届いていた。

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100 Amiga paintings / Barry Doupé

100 AMIGA Paintings

AMIGAというソフトを使って描いた100作品

展覧会の際に依頼を受け、英語で詩を書きました。

Yokna Patofa Poetic Responce

waap_amigapaintings_FINAL_11X17-1_forweb.jpg - Google ドライブ

友人(Grace)に、このテキストの中に少しでもポエジーはあるのかと聞いたら、ポエジーというよりはアナロジーだと言われた。そうなんだと思う。知性でフレームを作ってしまったような気はする。それでもサイゴンで現実になったことのまるで前触れの様な喜びや、蛹について書かれていて、納得した。願いが単純に、かなったのだ。

英語ができるようになるためではなく、言語実験室の記録として、大量に破戒を残しておきたい。

 

脱殻の様な気持ちでいたら、台湾のアーティストのChaong Wen氏からメールがきて、いまペルーのリマにいて、森山さんのオープニングに行ったら君の写真があったと

 自分自身のことを覚えている人が全くいなくなったら、全く新しいことができる

でもその試みは、クリエイティブな形あるもの、人に伝わる物語につながるというよりは、人生をますます不思議なものにし、攪拌させただけのようだ

どうやったら自分自身の沢山の一時的な泡のような驚きや痛みを、或いは世界観の改革の閃きでも、そういった発見を、二度とその手を握れなくなる前に、人にも未来の自分にも、届くようにできるだろうか。そもそも届ける必要なんてないのでは。確かめたいのだろうか?

カメラほど有り難いものもなく、ここ最近ずっと、写真は証拠以上でも以下でもなかった。けど、それでもまだ足りない。

ボディメモリー優位は嘘だ。そもそも絶対に繰り返されない物事を、捉えたいのだから。

人やモノに語ると、それは記憶される。私もまた、完全にはなくさないでいられる。

とはいえ殆どの人や動植物が、群れが、わざわざ外部化する必要も感じないまま、気づきもしないで、人生を終えていき、それが正しくも思える。

生きる純粋性、真剣に、バイクの後ろで、真剣に、死んでもいいな、むしろ戻って、戻らない、思い出にするくらいなら、このままこの騒音と、湿度と、群れの中の永遠の移動の中に消滅していきたいと、

そういったことがフェイクじゃない願いとして心に現れていたのは、良いことなのだろう。

ベトナムでは、間接的にしか生きられないということはなかった。

短期間のluckがあったのは理解している

でも旅ほど無責任で、つまらなく、無意味なこともない。

嘘とまでは言いたくないが

その先に行きたい

 

 

明日は好きな役者さんが出ているので、「誤解」を見に行く! 

 

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Ho chi minh, 2018, yokna hasegawa

 

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ベトナムで見る夢

 

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Grace_Cleansed, by Grace,Letty,Emd,Bereka,Gellian,Yokna

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Ms.Yuka in Ho chi minh, by Yokna

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Vietnam railways

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夢から:「甘くなった果実に関しては、理系では、甘くなった、とはいわない。バイオリティが高くなった、という」

 

夢の中の祈り:

「神様。どうか最後の日には

彼女の中の魚の部分で、私を泳がせてください。

そしてまた、リバーサイドやプールサイドで、左側を歩き、

写真を撮るのをお許しください。

 

いま目を開く前に、頭の中にあったこと。」

 

こっちに来て初めてみた夢:サイバーパンク的でパーフェクトブルーみたいなムードのある、じっしゃのミステリー版、千と千尋

ベトナムで一週間が経ちました。

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VIETNAM 2018 JULY YOKNA HASEGAWA

日本の情報を極力入れないようにしていて、大変遅くなってしまいました。

思い当たる友人にはメール送ったのですが、もしかしたら、お住まいの方も見ることもあるかもしれないので、自分の気持ちを書きます。

今回の大雨で、とても不安な思いをしている方々が、早く居心地よく暮らせること

人との絆が、共に難しいことを乗り越えていくことで、一段と強くなることを信じています。

広島や岡山にお住まいの友人の中でもおうちが断水中だったり、また奇跡的にライフラインが生きていて、周りとシャワーを共有しているというお話を聞きました。本当に大変だと思います。

とにかく最初に言ったことに尽きますが、中心になるべき大人の方々も、あまり無理をなさらず、思いつめず、なんとかなるさとできる限り信じて、色んな人を頼ってくださればと思います。

 

ちょうど、大阪でお会いした先生のご実家が倉敷で、見所のお話をうかがったり、

「鞆の津ミュージアム」でとても面白い企画のキュレーションをされている方とも、5月頃IRAでお会いして、尾道の美しさに憧れるとともに、心に残っていました。

鞆の津ミュージアム

9月のはじめまでは「文体の練習」という自主企画展の期間で、9月からもまた、展示があるそうです。

ぜひぜひ要チェックください。

 

 

私の方は、掲題通り、ベトナムホーチミンにおります。今日で一週間が経ちました。 ベトナム人には、本当に驚かされています。

蓮の花の絵を、ところどころで見るけれど、本当に、あのなんとも言えないパラドックスと生命力を持った植物が、ぴったりだなぁと思います。

一日に何度か激しいスコールが降り、その他は、強い日差しと大量のバイクです。 一昨日までに一度、動けないほどの食中毒も経験し、ぼったくりも経験し、 毎日多くのことが起こり、ベトナム、日本問わず、人に助けられてます。

 

来週は、入国時にビザを取り忘れた関係で(たぶん後述)、カンボジア国境のモクバイというところに、壊れた携帯(シムなし)とYOGA BOOKとカメラとタブッキのレクイエムをお供に、行ってきます。とても不安ですが、楽しみでもあります。

気になった人には大体話しかけていますが、いいなと思っても、写真を撮らせてとはまだ言い出せてません。

せっかくだから、週イチくらいで何か書きたいとも思っています。10週とちょっといるので、10くらいは。

本もだいぶ絞ったけど、その中の四冊が短歌です。 春日井さんはデュラスとベトナムの人たちのしっとりした肌のことを歌っていて、他にはなんとなく、明石海人と、齋藤史と。

長塚の歌集を寝る前に1ページずつ読もうと思って、開いた時の飛び込んできた、日本語の、臨場感、繊細でなまめかしい歌の律動ににぶっ飛びました。いまでは、以前ご紹介した歌だけを、なぜ選んだのか謎なほど。。 こっちに来ても、自分でもつくっていますが、以前よりもむずかしさを感じます。。 億名 yokna

 

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VIETNAM,JULY,FIRST WEEK YOKNA HASEGAWA

 

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june の 交流<トランザクショナル>解釈

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写真とノートをかなり整理した。短歌感覚が感覚の全体を変えてきてる気がする。

短歌では、斎藤史の、時代感覚、人類的な視野の広さ、哲学性、幻視/ヴィジョンの大きさ遠さ、鮮明さ、また歌の中にのこそうとしている、人としての生き方の強さに凄く打たれた。日本の女の人で一番好きかも。(主に第1歌集「魚歌」から始まる歌人の年譜をみると、太平洋戦争の時代との並走の中で、母として、妻として、軍人の娘としてというご本人の人生と切り離せない歌も多いと思うので。ただ、視野の広さの方向性だと思うけれど、何処からきたかわからないような神秘的なヴィジョンそのものもあって、どちらも好きだから、日本人の中で一番好き、と言っても別にいいかも。)

 

自分でも詠んでる。文語は間違ってる部分あると思うのでもっと勉強したい。

ベトナムへ九月まで行くことになった。

骨折した(し続けている)。左手を使うことで、全身の感覚が変わってきている。

 

<六月中の短歌>

六月の蓮の葉の液夥し橙の飽和は瞑る目に満ち

ドア開けて六月の雨貫ける新型ステルス何処(いずこ)へ行かむ

口笛を吹けぬ少年泥の川夜通し歩めば歌う海あり

乾きたる大地流れて膨らまむ常に思ひ出幅持つJUNE

来しものら心奪ひて弟も黄色の電車も撮らず別れぬ

弟と冒険したる夢を見しソファの下は温(ぬく)き海原

 

-手の骨折りて-

生身たることは痛くてもろきかな白きギプスを痴れて誇りて

ギプスして街を歩けば見えぬ傷見せぬ悪魔も腕でつららす

 

-ベトナムへ-

不可能のほとりで少女の船待たむ凍ることなき綴りの Sông Cửu Long/瀧九龍(メコン)

森林はこれ程美(は)しき追悼かデュラスの墓(モンパルナス)に人はペンさす

モンパルナス貧しき我も青ペンを捧げば空に十字雲読め

 

-水原先生の歌の中で..江青という名前から来るイメージを詠まれた一首

(

汚名また美しきかな江青はいかなるひびきの河にありしや ー水原紫苑

)

が印象に残り、大阪で上映の際、ふと寄った中古店で買ったカメラを調べると、江青がかつて「中国のライカを」と作らせたもので、略称は海鷗(シーガル)、という偶然があった。シャッター音と河の響、また海と河を間違って慕う空の生物について//恥ずかしげもなく//-

 

江青を母と紛ひき海(シーガル)の鈍(とろ)き羽搏き河と響かむ

 

 -億名