treasure

ニッポンヴィジョンズ審査員特別賞受賞作品 日本零年三部作第二部、『DUAL CITY』の情報は→ http://ek-stase.under.jp

日本零年三部作、第一作『イリュミナシオン』予告編

michelangelo surge

良かった、

もうあと二日だけど

 

レオナルド×ミケランジェロ展|三菱一号館美術館(東京・丸の内)

 

ミケランジェロの<レダと白鳥>の頭部のための習作、

ずっと見つめていたくなる

繊細な横顔、

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レダを男性モデルで描いているのも面白い

ミケランジェロの純真さというか、この世のものではないものを感知し、

現前させる力/肉体を、非常に尊く思いました。

普通の感想だけど、

本当に大好きなのです!!!!!!!!

衣服のヒダフェチなのも、私もそうで、そのフェティシズムの出処はわからないが、何人か同じことを言ってる人がいるから、何か意味があるのだろう。中学生の時に家族旅行で「サモトラケのニケ」を見てしまって、そのせいかもしれない。なんでもエロスに結びつけるのも単純だけれど、翼も襞も、(Pas de couの美しさの限界越えも、)、考えてみたら初恋のようなものなのかもしれない。彫刻に抱きついて壊してしまう人の気持ちがわかる。(ロダンは中でストーリーが完結しているからか、そういう衝動はなかった。うっとりはしたけど。)

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でも、実際の<レダと白鳥>だと、ダヴィンチの発想がすごく気持ち悪くて/現実的/肉化していて/

勉強になった。

 

 

岩成達也の詩を読みながら眠る!

 

 

1.グリッドが気になる。気になり始めてから集めると、割とあるので、ありふれたイメージなのだろうが、心情的にはどういうことなのだろうか?このgoogle 画像検索の大量の結果が並んでいるのも、私の中だと同じイメージに入る。とりあえず集めている。

 

2.soundcloud危機の時、すべてのデータをローカルにアーカイブした人の気持ち。toutes tes histoires.面白さ。人間心理。形のないもの。ボルヘス的数奇者(?)。Human surgeを見てから、相当明確になった部分がある。ローカルなポイントをディテールまできちんと描いて、制度ではなく、生態系の網目を使い、グローバルにつなげる。山井くんと情報交換させて頂いた、90年代のアニメなどの世界観が、現実化してる話。昨日ちょうどDazedで「パーフェクト・ブルー」のセレブリティ心理の予言性の記事もあったりして、なんでインターネットはいつも「ブルー」なのか。占星術の12室との融和性。最近、大きな映画を撮る前に、DUAL CITYの企画段階だった「アビス」にあって描けなかった、ディープインターネットや、情報圏、ネットワークで暗躍するウィルスやハッカー達の話題や、Forceのうねりを、形にしたいなぁと思っている。その契機はそれこそ、「90年代の現実化」のような人たちを世界各地に数人ずつ知り始めて、アビスで登場予定だった人たちが現-肉化している、つまり、もっと言えば、その時当て書きしていた私の昔の友達の面影のある、その上、相当バーチャル化している人たちに出会って撮りたくなったことと、Human surgeを見て、トスをしてもらった感じ、

 

 

 

3.写真集。もうすぐできる。テキストを入れるか入れないか、迷ったけれど、最後の最後まで粘らせていただいて、入れることにした。一つの本を作るのは大変勉強になることだった。私がいま持っている写真集といえば、清野さんの二冊とナン・ゴールディンだけで、全く違うけれど、一つだけこうだったらいいなと思ってるのは、何度も様々なタイミングで、ついたり離れたりして、人生=旅に誘えたらいいなということです。

大変辛抱強く形にしてくださった、Space Cadetの鈴木さんと岸田さんには感謝しております、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

El auge del humano



/ The human surge (2016)

2015年ー2016年と、全く映画を観られなかった。

唯一覚えているのが、早稲田松竹のミッドナイト、デュラス特集でインディア・ソングをフィルムで。同映画館で王家衛。そしてアテネ・フランセブレッソン罪の天使たち」。それらの映画は相変わらずだった。相変わらず素晴らしく、相変わらず私を驚かせた。相変わらず音と映像は分離していて、非人間的で神秘的で、人々はじっと見ていて、変な感じだった。相変わらず映画の後は人恋しく、空気が新鮮になった。自分にとって映画が相変わらず、「秘密基地」で、映画の方は私を離すことも逃げることもなく、ただ、私がそうしたいと思うだけで、いつでも包んでくれるし、入り込ませてくれる、それが自然にわかった。どうしてこれほどまでに、映画と離れていたのだろう?とも思った。

最近まで同時に酷いライターズ・ブロックで、クリエイティビティを取り戻すエクササイズをしようとして『モーニングページ』をしてみたら、気づいたら20枚、30枚くらい文章を書いていたりとか..今もそれはやっているけれど、書いては、大量のノートを片っ端からシュレッダーにかけている。一つわかったことは、、自分の中のケイドロごっこ..私の中のレクター博士クラリス..そのどちらもが本気を出しきり、拮抗していないと車が進むことが出来ないのだと言うことだ。そして外は氷河期の様で、無理やり火をおこしていないと、全てはすぐに凍てつくのだった。でも同時に、それがわかったからどうだという感じでもあった、そんなことをしなくては、生き延びられないのなら。

去年、南米へ行く前に、Larry ClarkのTシャツを買った。裏に「death is more perfect than life」それに何故か怒りを感じ、マジックでわざわざ消した..。今では、その言葉は当然のことに思える。あらゆる高揚も、あらゆる胸騒ぎも、あらゆる悲しみも、あらゆる希望も、私というパーソナリティ自体も、脳内物質のバランス、ナントカフェタミン達のケイドロの結果に過ぎないのだ。

旅も脳内物質を出す、延命法だったのかもしれなかった..それでもいくつかの日常は、善悪関係なく、知ることができて良かったと思っている...チリの最後の日から何日か前に、この映画の冒頭の様に、雨で街が洪水になった。友達は、「悲しいことだが、これが第三世界だ」と私に言った。地区によっては水も出なくなった。水が出なくなるのはお金持ちが住んでいない地区で、ただ、ケネシスという、友達の弟の彼女の、何も喋らなくてスーパー・シャイだけど、時々笑う女の子のアパートも、ベジャビスタに似てるダウンタウンっぽい場所にあるけど、そこでは貯水タンクがあってかろうじてシャワーが使えるらしく、皆行って使わせてもらうとも言った。私には「撮れる」子と、「撮れない」子が、瞬時にわかるのだけど、ケネシスは会った時から、絶対撮れると思った。ケネシス(ジェネシス)という名前もいいと思った。「次サンティアゴにまた来たら」..そういったかなりハイコストなことも、信じられそうなくらい、「ケネシスのことは絶対撮れるな」と思った。 それは、何か、不思議な共感だ。こんなに遠い所に住んでいて、言葉もわからないけど、何か通じ合えそうな感じがする。...雨、日本なら小雨より強い程度でも、普段、あまり降らないからか?チリでは設備が整っていなくて凄いことになってしまう。テレビでは国の代表のような人がニュースに出ずっぱりで、川は溢れ、車が水の中で止まり、街中にたくさんいる犬も大変なことになっている。旅行前に構想していた、私の「写真計画」も「ドキュメンタリー計画」も、努力はしたが、完成しなかった。特に写真はフィルムを恥ずかしいくらい費やしたのに、「何も撮れなかった」と言っても過言ではない。しかしそれでむしろ良かった。もし何かを撮れる人間ならば、第三世界の欠陥を心から鬱陶しく、改善すべきものと思っていて欲しい。


この映画の冒頭、光のない、どこかわからない場所で、暴れまわるような、揉みくちゃにされるような堂々巡りの時間のあと、突如としてドアが開け放たれ、呆気に取られる大雨と、外の世界が射し込んでくる。

その後、面倒そうに水浸しの街をじゃぶじゃぶと歩いていく人たち、それをじゃぶじゃぶと横移動で追っていくカメラ。大変そうな撮影.......。ここからこの世界を愛さない理由はなかった。アルゼンチンの映画という知識があって、見たことがある風景、南米ではよくあること、それをとても近くで、今から見れると思ったから。でもそれから観ることができたのは南米だけではなかった、単にこの映画の撮影場所、モザンビークとフィリピンの三か国というわけでもない、私も含めた、現代の生だった。

環境と粘膜接触してるような人間達...実際、時間の中に生きていると考えれば、ただ生きているだけで、みんな同じ水の中にいるようなものだ...液体的なものは、インターネットや蟻が掘る、ネットワーク-穴を伝い、全く別の場所につながる--最近現れたはずのテクノロジーの光は、そこらじゅうを飛ぶ謎の電波/wifiは、無機質でわかりきっているかに見える資本主義のシステムとは懸け離れた、私たちの生態系の維持に必要な、有機的な何かに見えた。蛍が小さな光を発するように。一方で世界をここに存在させる、言葉もなく満ちている大きな光は、人々の体を当然のように包み、それを感じてうつしとるカメラは、人々をただ追いかけ、その感じられた時間に直接アクセスする様なこの映画は、夏の光の影時計のように目の前で繰り広げられ、その映画を見続けるこの私は、私の最近のメランコリーとは全く関係ない所で生きていた。メランコリー。数ヶ月前、ゲーテのメランコリーに打ち勝つのがどうとかを、苦々しく思った。(本当のメランコリーに沈んでいたのはレンツだった-社会で「大成」し、歴史に残った人間とは決定的に何かが違う--生きることや社会への意識の持ち方が--忌むべき野心.....メランコリーとは、真実との親和性ではないのか。人間の精神が、それに耐えられないだけで、虚無こそが本質であることに間違いはない。......でも一方で、ショウペンハウエルの「幼馴染が老人になってから再会したとしてそこには幻滅しかない、それが人生が幻滅であることの証拠だ」云々に、それは一番低次元での人間性なのではと思いもした---私はそれを体験していないから想定するだけだが--例えば映画の中では(自分が思い出したのは『山椒太夫』だったので極端で、それは現実ではなく創作的なカタルシスとも言えるのかもしれないが)、映画の中では、信じざるを得ない形で、人生の結果として、幻滅とは別のことが起こるのを見てきた。この映画の中でも、地球は回る、周り続ける、止まってないから美しい、私が見ても見なくても、生きてても死んでても。とても大きく、とても未知で、大いなること.....。「あること、生きること、素晴らしいと思うことすら、それは素晴らしいことなのだろうか?」と立ち止まることもしばしばな去年だったが、この映画を見ると、違う色のペンキをぶっかけられているようなのだ。そもそもの考え方..それがそもそも違うのだと........理由はわからないが、地球が丸くて、理由はわからないが、我々は(テクノロジーは)進歩しようとしていて、理由はわからないが、あらゆるものは生きている。ネリーの様に、死は魅力的に思える(嘘でも格好つけるわけでもなく)、クレンズドのように、全ては、死について考えることすらが、クソみたいに無意味に思える......ラリークラークのTシャツを着る時、マジックの二重線がすでにかすれてしまって私自身がそのメッセージを背負っているように、死は生より完璧だ、....その上でよく考えることは........物質的なものこそが、きっと生きる意味なのだろう。なぜなら死んで失くすのは、体---物質とアクセスする術、なわけだから。だから生きている間は光の粒に取り巻かれ、傷を作り、癒えるのに驚き、大雨に濡れ、冷え、温まり、エロティックな行為に生体反応し、子供みたいに時間の中で喜び、そして分離という制限こそが、課題なのだ。「Blood Music」のように、自分自身というものについて、孤独の中で時たま考える...それは与えられたチャンスなのだ。

一方で、死ぬということ、なくなるということが、個別性が消え、自然と統一されるということだとしたら、残るものは精神であり、精神的に、誰かを記憶し続けるということは、(懐疑的ではあったが)、やっぱりその誰かを生かし続けることなのだろう。一人一人がピースを持ち寄り、それを集合させて、死者について語り合うのを、単に、生きている人たちのためだけとは自分には思えなかった。私は単に、友情のようなものと考えている、死者でも。でも付き合い方はきっと違う、現代的な観点で言えば、妄想的になるのは必然なことだ。死者と、恐怖とは別の次元で、会話する。というのは。それに、死は確かに最後のセンセーションだ。最後の物語だ。セールスポイントにすらこの時代ではなる。でも、それでも、死について表現されているものを見るのが、私には必要だ。

死は、この映画の話とは関係ない。最近の私の根強かった関心だ。でもいま、それと拮抗することでもなく、互いに打ち消すのでもなく、全く別の形で、もしかしたら補うような形で、この映画が現れた。この映画の世界の広さは、ただ、広いというだけで、啓示だ。死の前に、この世界だけで、全然知らないことがあるのだと思い出させてくれるからだ。時間のフッテージで映画はできる。切れ端を構築すると、別の場所にあるひとつの時間にアクセスすることができるようになる。不思議なことだ。UFO-likeと言ってる人がいたけど、人間をそんな目で大きな好奇心を持ちながら、見つめることができたら。自分が波なのか、漂白された一個の粒なのか、修行も足りず、揺れている。映画は相変わらず、生きてるということから最も遠い装置であるのに、私に生身の人間や世界を垣間見せ、それは二元論の外へ、言葉の外へ、魂を一瞬、旅行させる。それはどこまでも現実的で、とてもスリルがある。

 

 

 

 

 

 

 

Yeah something called love

Here comes Johnny Yen again
With the liquor and drugs
And a flesh machine
He's gonna do another strip tease

Hey man, where'd you get that lotion?
I've been hurting since I bought the gimmick
About something called love
Yeah, something called love
Well, that's like hypnotising chickens

Well, I'm just a modern guy
Of course, I've had it in the ear before
'Cause of a lust for life
'Cause of a lust for life

I'm worth a million in prizes
With my torture film
Drive a G.T.O.
Wear a uniform
All on government loan

I'm worth a million in prizes
Yeah, I'm through with sleeping on the sidewalk
No more beating my brains
No more beating my brains
With the liquor and drugs
With the liquor and drugs

Well, I'm just a modern guy
Of course, I've had it in my ear before
'Cause, of a lust for life (lust for life)
'Cause of a lust for life (lust for life, oooo)
I've got a lust for life (oooh)
Got a lust for life (oooh)
Oh, a lust for life (oooh)
Oh, a lust for life (oooh)
A lust for life (oooh)
I got a lust for life (oooh)
Got a lust for life

Well, I'm just a modern guy
Of course, I've had it in my ear before
'Cause I've a lust for life
'Cause I've a lust for life.

Well, here comes Johnny Yen again
With the liquor and drugs
And a flesh machine
I know he's gonna do another strip tease

Hey man, where'd ya get that lotion?
Your skin starts itching once you buy the gimmick
About something called love
Oh Love, love, love
Well, that's like hypnotising chickens.

Well, I'm just a modern guy
Of course, I've had it in the ear before
And I've a lust for life (lust for life)
'Cause I've a lust for life (lust for life)
Got a lust for life
Yeah, a lust for life
I got a lust for life
Oh, a lust for life
Got a lust for life
Yeah a lust for life
I got a lust for life
Lust for life [repeat and fade]

 

Iggy Pop

la fureur de ce que vous pensez

この熱き〜のオリジナル版。最初はカッコいいとかセクシーと思っていたけど、何度も繰り返し見てると儚すぎて涙が出てくる。

人形みたいに見える「彼女たち」(=全員ネリーアルカンの別の側面)も、ハイヒールやドラッグがトーテムである種族の幻滅と夢や美の同時進行も、狂気と少女性の同時表示も、半分があっちの世界の舞台構造も、フランス語のオーバーラップする声も、色も、全部好きだなぁ。本当に好き。

でもフランス語の魅力が大きいと思うし、日本版は、またぜんぜん違ったものを期待。

脚本の形式も見てみたい。わくわくする

マカオの文書館

..ときとして他ならぬひとつの想い出のなかに二つの想い出を重ねるということがどうして起こりうるのか不思議なものだ、そのときぼくに起きていたのがそれだった、一九五六年のあなたのイメージを想いだして、そして同時にいつまでもぼくに残るであろうあなたのイメージを練りあわせていた、ほとんど三十年もあとになって。

 死者たちに宛てて書くべきでないことはぼくだって心得ている、しかし場合によっては死者たちに書くということが言いわけであることぐらいあなたにはすっかりお見通しだ、それはフロイト的な基本的事実だ、なぜならそれこそわれわれ自身に書く何より手っとり早い方法だからで、ですから大目に見てください、ぼくはこうしてぼく自身に宛てて書いている、いや、おそらくそうではなく、ぼくのなかにもっているあなたの想い出に、あなたがぼくのなかに残していったあなたの痕跡に書いているとしても、それゆえある意味では本当にあなたに宛てて書いているとしても---いやちがう、おそらくこれもやはり言いわけなのだ、現実にはぼくはただぼくに宛てて書いているにすぎない--あなたの想い出というのもあなたの痕跡というのもそもそもぼくのことにすぎない、そこにはあなたは影も形もないのだ、ただぼくがいるだけだ、ここに、香港へ向かうこのジャンボ機の肘掛け椅子に座っている、ランブレッタで行こうとぼくは考えた、香港へぼくを運ぶ飛行機に乗っていて、そのあとそこからマカオ行きの渡し船に乗ることはわかりすぎるほどわかっていた、ただしぼくはランブレッタに乗って旅しているのだった、ぼくの十三回目の誕生日だった、あなたがマフラーを巻いて運転している時、ぼくはランブレッタに乗ってマカオへ向かいつつあった。そしてあなたは体をひねらずに、総がぼくをくすぐるマフラーを風になびかせて叫んだ--マカオへ?マカオへ何しに行くんだい?そしてぼくはあなたに言った---文書館に書類を探しに行く、市立の文書館がある、そのほか古い高校の文書館もある、紙切れか、手紙かもしれない、わからないけれど、要するにある象徴主義の詩人が書いたものを、探しに行くんだ、マカオで三十五年生きた変り種の人間で、阿片中毒だった、一九二六年に亡くなった、ポルトガル人で、名前はカミロ・ペサーニョといった、先祖はジェーノヴァの出身で、一三〇〇年代にさるポルトガル王に仕えていたぺヅァーノという人だった、詩人だった、一冊だけ薄い詩集---『水時計』を書いた、この一行を聞いてくれる?---「あやまって野生の薔薇が咲いた」。するとあなたはぼくに聞いた---おまえにとってそれは何かの意味があるんだね?

アントニオ・タブッキ

 

 

天空の部屋の女

www.parco-play.com

小島聖さん、好きだなー

凄まじく繊細そうで、自他の境界線がなくて、虚無的な空っぽさもあって、

お芝居の構成(キャラクター解説)も素敵。グッときた

 

写真集を製作中/THE TOKYO ART BOOK FAIR 2017で販売します

最近一番、どうなるのか自分でもハラハラだったこと ...

ウェブギャラリー/プラットフォーム SPACE CADETと、初写真集を製作中です。

 

そして今年のTOKYO ART BOOK FAIRに参加&販売します。
SPACE CADETでは、宇田川直寛さんと森下光さんの写真集も同時に販売します。
私も会場にいるので、ぜひ遊びに来てください。

 

THE TOKYO ART BOOK FAIR 2017

 会期:2017年10月5日(木)~10月8日(日)
会場:寺田倉庫 
   東京都品川区東品川2-6-10(地図) プレビュー・オープニングレセプション
日時:2017年10月5日(木)15:00〜21:00(予定)
入場料:1,000円 会期:2017年10月6日(金)12:00〜20:00
   2017年10月7日(土)12:00〜20:00
   2017年10月8日(日)11:00〜19:00 
入場料:無料 


部数やページ数などは現時点で未定。

ディレクターの鈴木さんとデザイナーの岸田さんにはかなり私の特質を理解して頂いていて、同時に全く予想がつかないものになっていく。

とてもミステリアスな、知らない宇宙を見ているようで、生き返った感じがする。

 

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今日は3回目の打ち合わせで、その後3人でDown North Campに。遠くから見ていて、仙人掌には動かされた。色が変わってく暗闇の感じと同じ時間に生きている人たちの姿と。生きて行くには誰かからのコールが必要だと思った。