treasure

ニッポンヴィジョンズ審査員特別賞受賞作品 日本零年三部作第二部、『DUAL CITY』の情報は→ http://ek-stase.under.jp

日本零年三部作、第一作『イリュミナシオン』予告編

来年2月の恵比寿映像祭 にて、日本零年三部作 vol.1、vol.2が上映されます。

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2017年2月に、東京都写真美術館で開催される第9回恵比寿映像祭《マルチプルな未来》で、
日本零年三部作の第一部「イリュミナシオン」、第二部「DUAL CITY」が、特集上映されます。
http://www.yebizo.com

「日本零年」vol.1《イリュミナシオン》 ――長谷川億名特集
http://www.yebizo.com/#pg_top-screen4

新進映画作家・長谷川億名によるS F 映画「日本零年」三部作の第一部。南北に分断された近未来日本、紛争地帯の北部に比べて表面的に平和な南部では、若者たちの間でタイムトリップができるというドラッグ“イリュミナシオン”が流行する。 

会場:
東京都写真美術館1階ホール

時間:
2017年2月17日(金) 11:30
2017年2月21日(火) 15:00
2017年2月25日(土) 15:00

 

 

「日本零年」vol.2《DUAL CITY》 ――長谷川億名特集

長谷川億名によるS F 映画「日本零年」三部作の第二部。2 0 3 4 年、南北に分断された日本、内戦の続く北部で看護師として働く依子は、亡くなった娘が“情報生命”として生きている可能性を知って、ゲリラ兵士とともに南部に潜入する。 
http://www.yebizo.com/#pg_top-screen5

会場:
東京都写真美術館1階ホール

時間:
2017年2月12日 (日) 18:30
2017年2月17日 (金) 15:00
2017年2月21日 (火) 18:30
2017年2月25日 (土) 18:30

 

 

これから上映まで引き続きお知らせさせていただきます!

他の参加アーティストも、第一線で活躍している刺激的な方たちばかりです。http://www.yebizo.com/#artists
ぜひイベント全体を通して遊びに来てください!


In Yebisu International Festival for Art and Alternative Visions 2017,"Multiple Future" Yokna Hasegawa's Japanese Year Zero Trilogy vol.1 "Illuminations" and vol.2 "DUAL CITY" will be screened !
http://www.yebizo.com/#ar_29

PLACE
Tokyo photographic Art Museum 1 floor hall

「Japanese Year Zero」vol.1《illuminations》 

SCHEDULE
2017.02.17 fri 11:30
2017.02.21 tue 15:00
2017.02.25 sat 15:00

「Japanese Year Zero」vol.2《DUAL CITY》 

SCHEDULE
2017.02.12 sun 18:30
2017.02.17 fri 15:00
2017.02.21 tue 18:30
2017.02.25 sat 18:30

I will keep you updated! Please check it out!!!

 

 




illuminations English Script! イリュミナシオンに、英語字幕をつけました。

I put new english script on the trailer of illuminations !pls check it out!

And I welcome the offer from international film festivals!

Please contact me!

イリュミナシオンの予告編に、英語字幕を付けました。

デュアル・シティの時と同じ方に御願いできて、なんだか不思議な感覚になりました。勿論、とても嬉しいのですが、それ以上に、また早く皆と映画を作りたい、というような気持ち..

映画制作の全行程が、本当にドラマティックだと思います。

映像翻訳アカデミー様、その節はありがとうございました。

イリュミナシオンの上映については、今後、要チェックを御願いいたします!

Space Cadetに写真作品『Ascension River』掲載 +補足

 

*一日経ってみて、昨日書いたことで、特にゴダールの、女性が撮る映画についての発言に関して、改めて書きたいところがあったので、引用など加えて夜にまた正確に書く

できれば自分が実際に無意識に映画の中でやってきたこと、女性と男性を描くことが、ここまでは、次の映画の課題にもなってきたことなども書きたい*

 

>>2週間後>>(8/30日)

夜に書くと言って、かなり時間が経ってしまって、申し訳ないのですが、

この間PC作業を夜を徹してしておりました。。

 

さて、先日書きたいことについて宣言して、一番、自分の中の女性性と男性性が露わに見えたのが、この作品だと思うものを、ちょうど、Space Cadetに掲載していただきました。

2013年に、キヤノン写真新世紀で佳作を受賞した時の写真のシリーズで、『Ascension River』というタイトル、

 

spacecadet.jp

 

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内容は、2012年、

中国人の画家の女の子をSkype越しに撮ったもの(雑誌infomentalで特集したティアンジャ・シャオ)、

イリュミナシオンにも主演してくれたヒロを撮ったもの、

ネット上にあった情報を元に、某連続事件の現場やその周辺を撮ったもの、

Google Mapで私が撮ったそれら全ての場所をもう一度スクリーンショットしたもの、

で構成されていて、

私は当時(も今も)、同名の小説、そして映画を構想していた。

事件については、ネットに文字では書きませんが、当時展覧会でお話する機会があった時には言いました。私自身は、犯罪というのは、その人ひとりのアイディア/問題ではなくて、とても地続きな、その時代の無意識的な要素が影響していると思うので状況の方がいつも気になってしまうのだけど、実際のところ、インターネット上では推測だけで、何のローカルな具体的情報もない。だからかなり倒錯した「現場百遍」、「プライベートアイ」を自ら演じるような形で、調査をしていました。今自分が住んでいるところからはとても遠い地方なので、実際には数回行った程度ですが、かなりその土地自体に心を掴まれてしまって、映画も落ち着いてきたので、また近々行くと思います。その際、現場を確認したり、実際に行けなくてGoogle Mapでいちいち確認していた時に、また、中国にいるティアンジャの住んでいる場所を上から見た時に、とても不思議な感覚を覚えて、それらを写真、としてまとめました。

 

続いて、アセンションというのは、2012年にスピリチュアル界で起こると言われていた現象で、友達と話している時に、ふとその子が、「時間なんて本当はないのかもしれないし」と言って、印象的に思っていたところ、その後、この事件現場を巡る前に行った、年末年始の聖山ツアー(

∇Ok▲∀‰†O∬∇ : HOLY MOUNTAIN TOUR : 3 高野山,

∇Ok▲∀‰†O∬∇ : HOLY MOUNTAIN TOUR 2 岡山 etc..)

の時に一泊させていただいた、bangiさん(ユーロスペースのデュアルシティ上映1日目の時に、トークゲストに来ていただきました)も、2012年に、全部の進歩が止まって、時間がなくなる、といったことをおっしゃっていて、全然関係ない二人が、全く同じ、「時間がなくなる」という発想にいたるのは何故なんだろうか?と思ったのがきっかけです。

時間のない淀んでるのか流れてるのかわからない場所で再会しつづけるようなイメージです。

日本零年やイリュミナシオンの、タイムトラベルできるドラッグのアイディアにも至りました。イリュミナシオン(with English Script )

www.youtube.com

 

私は理詰めでこの写真を最終的には47枚選んで、地図状に並べた。

地図というのは、私が地面を足で歩いた空間を表せるとともに、

映像とは違い、リニアな時間に拘束されず、地続きで全く無関係なものを関係させる方法で採用した。

 

こういった動機が先だったので、現実的に、ティアンジャやヒロの印象操作を私がすることは一切なかった。 

女性と男性の話に戻ると、 

アセンション・リバーでは、私(女)が撮影者で、ティアンジャはとてもエロティックに、ヒロはとても観想的に撮られている。

見る人は、ヒロとティアンジャを結びつけるだろう。でもその間には私がいる。

 

これらは事実、こういう風な関係性だったから、そう撮れた、それこそ「事実」だけど、女性を撮るということにおける、進歩があるとしたら、撮影者である私が、女性である、ということくらいかもしれない。(今、咄嗟に、『つまり、私が撮っていたのはエロティシズムなのかどうか?』という言葉が頭の中で聞こえてきたけど、(もちろんエロティシズムだけではないが)、正確な意味は自分ではよくわからない。でも後でわかるかもしれないから付記しておく。)

 

そして次の『イリュミナシオン』でも、ミキは紅一点で、女子高生で、男女の関係性は旧態依然としている様に見えるかもしれない。実際、私はミキをかなり「女の子として扱って」、特別待遇して描いていたと思う。でもどちらかというと私は彼らを、性のない存在(だけど親しみあっている存在)の様に描きたいと思っていた。

こう書くと、ある時、石井達朗先生(私が学生時代、単位を取れた数少ない授業の先生であり、恩師..)が私に(初めて舞台作品を発表して観にきていただいた時だった)、「舞台に人が立てば、その人の性、女性であるか、男性であるか、それは明らかに現れる(=人に性があることは、そこに人がいるとき、絶対に不問にできない)」と強くおっしゃって、それに、目がさめるような印象を受けたことを思い出す。

 

確かに、かなり無意識な割り振りがあった。私の中で理想とする女性性、男性性がまずあって、それを体の性別と一致させ、社会的な性別と一致させ、割り振った。それは、性別の方に特別な意識を向けない判断だったと思う。例えば倉田が女でも良かったと思うし、ヨウスケが女でも良かったと思うけど、そうなると、関係性の意味は曖昧ではなく、限定され、変わってしまうだろう とその時は感じていた。

 

『デュアル・シティ』では、そういった意味でも能動的、もしくは巻き込まれて行動せざるを得ない女性を描くのは、とても課題だった。結果についてはぜひ、ご感想をいただきたい。

 

 

 

また、女性について書くとなると、どうしても吉田吉重監督になる..

前回書いたことについて、正確にしたかった訳だけど、それについては、ゴダールというよりも、吉田監督を指し示すだけで、私の中の女性性を描くことの問題は明確になる。

煉獄エロイカの、尋問中、虐殺されて死んだ女活動家が、軽やかにスキップしながら、画面上に復活するシーン。

 

あのシーンの凄さというのは、一言で言って、魂の汚れなさを実感した。

汚れなき人間の尊厳、、というと、大それた言葉だけど、

一人の女を、無残な死から、完璧に復活させ、すくいあげ、彼女の最も高貴な瞬間、と同時に本質的な瞬間、に戻している。

何事もなかった、ないように、

高らかに

 

 

鏡の女たちの、「戦後、女は男に頼るほかなかった」と語る、岡田茉莉子

 

 

フィルムノワールの様に、黒から「白くなっていく女」

 

 

 

 

 

 

 ---------

最後に全く余談ですが、ゴダールの本から遠く離れて、実はこの間に一冊、違う本を読破してしまった。

グレッグ・ベアの『ブラッド・ミュージック』........。

 検索したら、格好いい画像が...

 photo CoastSlabcopy.jpg

 

 

本当に興奮して、映像の書き出しで『残り20時間..』とモニターに出ている時に、やけで一気読みしてしまった。。

昔から傑作だというのは聞いていて、復刊した時に買ったままだったのを、読みました。きっかけは、途中の「バスルームのシーン」を当てずっぽうに読んでみて、なんて格好いいシーン!と思い、それからは早かった。

この小説は、普通の小説や映画がこれで終わりそうだというところから本当に始まるのがすごい。そして、夢の世界や想像上では可能かもしれないが、現実に持ってくると崩れてしまいそうなことを、完璧に「言葉で」作り上げている。

人類がどんどんいなくなって変形し、一つになっていくのだが、それが悪いことではなく、むしろ、とても幸せな感覚になる。

 

<血の音楽>が聞こえる..

 

という言葉を含め、すごく瞑想的で詩的。そして<わかる>。

また、ソ連が核を落として戦争が始まったりと、緊迫した時代背景もとても見えてきて、100年後、200年後、宇宙人に渡す本には間違いなく入っているだろう。

 

 

SF界は、頭脳明晰だったりエンジニアだったりな女性が沢山出てきたりもするので、面白いのだけど、この小説の場合は、むしろ、森羅万象が変化していく中でも、とてもシンプルで無垢な生命力を持って、何事も恐れない勇敢さ、無知で全知であるもの、を女性たちがユーモラスに表していた。

そして男たちも、マッドサイエンティストだったり、武士の様な天才科学者だったり、友達や家族思いの平均的な男(average man)だったり、とても無力でありながら、超人的な決断をする人々で、魅力的だった。

 

中盤、北米のほとんどの人類の体が変化していく中、ひとり残され奮闘するスージーは、それまでの小説の印象を全て覆して引っ張っていく。

大勢の人間と一緒の共同体になることではなく、自分ひとりである可能性を求めたいと思い、誰か何かを探して歩き続けること

 この女性像は実は、「ひとりひたすら歩く女」と私が呼んでいる好きな女性像の系譜に当たる。(八月の光、ラホールの副領事、未読ですが『イーダの長い夜』、も?また映画では、女性ではないけどパリ、18区、夜。ヘルツォークも)

 

 傑作で完璧だったし、ネタバレも何も、という感じなので、興味がある方は、読んだらいいと思う。

 

 

 

それから、また新たに読んでみたい本がいくつかあり、女性映画祭の後にまた発見もあるかもしれないからその時新たにまとめようかな...。

 

・スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチの「戦争は女の顔をしていない」、

・About Sarah Kane the Playwright & the Work、

自分にとって、「尊敬する芸術家」である人たちのインタビュー集、

・Clair Denis, intimacy on the border

Pina Bausch, Source Book

 

Denisの本は、とりあえずWim Wendersの序文が、英語でもわかるほど素敵だった。

新作公開のDenis祭りとして、翻訳してみたい程..。

 

 

 

to be,or Surf to be //あいち国際女性映画祭コンペティション部門にノミネート、上映があります。

 

*補足(8/12 )

yoknapatofa.hatenablog.com

 

Dual Cityを、あいち国際女性映画祭2016コンペティション部門にノミネートしていただいて、二回上映がございます。私もご挨拶にうかがいます。

 

ステレオと字幕の調整のために昨日一晩久しぶりに観てました。
映画を撮ったすぐ後は一年中何度も編集をやっていたから(大阪バージョンとは結果的に音声全体+5.1、CGパワーアップ、追加シーンなど大きく何度も変わってます。)初めて長い時間と距離をとって観ることができた。

 

昨日はすごく冷静で、そこに生まれたものだけを初めて観られた気がした。そのとき、それは果てしなく遠くにある、同じような現実の中で、目の前を駆け抜ける世界や人々だった。

そういった遠くに確かにある現実と、一瞬だけつながる窓のようなものに成れるのが、私にとっての映画の力の一つです。

 この映画を観たら、その窓を通して、生きて行くときに何回か力になれるような、熱い塊と軽妙さみたいなものを、受け取っていただけると思います。


一年経って、いまの時代に必要な映画を撮れてたんだ、という自覚が生まれました。

「難解さを絶妙にわかりやすくしている!」と評判の、映像翻訳アカデミー様の字幕とともに。ぜひ観ていただきたいです。

 

 

9/10(土)13:30〜15:10

ウィルあいち大会議室

*監督挨拶、Q&Aあり

9/11(日)09:30〜11:10

愛知県青年の家(岡崎市美合町並松1−2)

字幕付き、ステレオ音声での上映です。

http://www.aiwff.com/2016/films/competition/dual-city

 

<Aichi International Women’s Film Festival>

http://www.aiwff.com/2016/en/films/competition/dual-city

10 Sep. Sat. 13:30 Conference Room

*with Director Q&A

11 Sep. o9:30~11:10 Aichi Prefectual Youth House

English Script,Stereo Sound

 

 

 

 

 

/// 

【中性】

ある頃から、自分の最も憧れている芸術家の半分以上が、女性になった。

そしてその前には、「女性に本当の芸術は作れないのだ」と思っている時期さえあった。

例えばクレール・ドゥニは、「映画は臓腑から作るのではない」というようなことを言っていた。はじめはドゥニのこの言葉が、過剰反応(それまでの女性芸術家の女性的性質への、またはそのカッコ付きの受け入れられ方への、そして自らが女性であることへの..)すぎるように聞こえた。それは翻っていえば、私自身の女性への、過剰反応であったのだろう。

ドゥニの節度ある眼差しは人間性を備えていて、それは、「女性監督の映画として傑作」なのではない。彼女は男性の葛藤を、女性と同じくらい描いている。(撮影監督アニエス・ゴダールも女性である。)ドゥニの映画の中では男が女を欲望したり、女が男を欲望したり、カメラがすごくクールに移動したり女が神聖な怪物のように描かれていたりする。作品からは、監督した人間の性を感じさせない、不思議な中立性と透徹した精神がある。彼女は70になったいま、メインストリーム、ハリウッドで宇宙を舞台にしたSF映画を撮るという新たな驚くべき挑戦をしている。

中性でいること。理性的であること。これは、私のテーマでもあった。

 

【女性の見せていない女性、男性が見せてきた女性】

一方、J.L.ゴダールが、「映画史」の中で言ってた"卑劣な映画"について..。「(ある女性監督)は、男がズボンをおろすところを撮れない..彼女にはそれが怖いのです..」私は、「当たり前だろ」と思う。女性には限界がある。男と共存する世界での。でもゴダールの挑発は為になる。実際ゴダールのする様な問題提起を、男だけではなく女もしない。  

女は何を撮るべきなのか。

私は昔から、男が描く女に、気づかされる思いだった。溝口健二の様なこだわりで女を、知ることはできないと思ったし、ブレッソンのような輪郭で女を、まざまざと捉えることはできない。

 

女子高生コンクリート事件の映画を、なぜ男性ではなく、女性が、撮らなかったのか?

勿論それは、撮れる訳がないから。(こう書くだけでも、本当に辛い。)

だけどゴダールが言う言葉を、私はここまで現実的に受け止めるべきだと思う。

そして、いくつかの映画、事柄に対して、「なぜ女性が撮らなかったのか」と思う。

女性にはどうしたって撮れそうもないものがある。撮れないからこそ撮れるものが。 

 

 

【女性の見せてきた女性/不可能なことを可能にする】

暴力に対する最も正当な女性的表現が、私はサラ・ケインがクレインズドの中で、暴力を受けている最愛の人、グレースを見ているしか無いグレアムに言わせた、「Surf」という言葉だと思えてしまう。

なぜなら既にそれはあらゆるところで存在したからだ。

そして、当事者である女には、暴力の後、破綻の後、生き延びることが選択肢にあるからだ。

 

タイタスのラヴィニアは婚前の「純潔」(=社会的な言葉)を犯され、舌と両手を切られることで、それまで見たことがなかったような、無垢さと...(子供と行動しているので、その違いはわかる。)吸引力のある存在となっていた。

シェイクスピアの世界では彼女らはクライマックスの少し前で死んでしまう。存在してはいけないのだろう。

だから彼女らが魅力的に思えるのは、私が女性であるからなのかもしれない。(オフィーリアや、ラヴィニアの視点の海外のお芝居もあるそうだ。)

 

デュラスも、女たちを、決して殺したりはしない。

幼い頃の記憶の中の、美しい不貞で死んだ女の、たがが外れた生を、幼い頃道端で見た乞食女の、ガンジス河までの道とそれからの長い生を、

社会的には終わったそれらを、何度も書き続ける。

そこには同じ女として、切り捨てられない、持続しつづける、抜き差しならない、留まって見つめ続けたい、何かがある。

 

女性も、男性も、私も、誰かも、満足するような語り方、見方、題材はあるのだろうか?

私が女として女の描き方に敏感であるように、誰かは誰かとして、何かの描き方に敏感で、

よく、誰かに当てた手紙が一番名文だったりするように、

自分にとって世の中をもっと深く広く繊細な痛覚を持って知るためには、親しい誰かの肉体や言葉や生きてきた経験や、見ている風景が必要だ。

私も私としてあることで、その人の世界を広げられる人間でありたい。

 

私の体はアジア人女性で、心は天秤座のA型。

私は女性として生まれた!

 

 

 

 

 

 

Early Summer Gypsy

Early Summer Gypsy(5月の現状)

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カリーナちゃん

 

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Early summer Gypsy

 

 

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moriya

 

DUAL CITY Screening in Sci-Fi London

SFL_OFFICIAL_SELECTION_2016-inverted SFL_OFFICIAL_SELECTION_2016-invertedScreening Times :
5:00pm -Tue,3rd May 2016
1:00pm-Thu,5th May 2016

Please check the website  & enjoy the future Japan in 2034!
http://sci-fi-london.com/festival/2016/programme/feature/dual-city

2016年も、世界中で、沢山の人達に見ていただけるよう頑張ります。 今後ともDUAL CITYをよろしく御願いいたします!

2016年 ブエノスアイレス、ウルグアイ、チリのいくつかの街への旅。空港の人々。東京に帰ってきてからの残ってる何か。

2016 trip

 

photographies of my trip to buenos,colonia del sacramento,and santiago.
ill inform about it more later.