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treasure

ニッポンヴィジョンズ審査員特別賞受賞作品 日本零年三部作第二部、『DUAL CITY』の情報は→ http://ek-stase.under.jp

日本零年三部作、第一作『イリュミナシオン』予告編

映画は現実を解放する(ジャームッシュ・リミッツオブコントロール・2009・加筆訂正)

「現実は気まぐれだ」
「本当の現実には、中心も端もない。」

現実は、・・この宇宙と、その中で回る惑星、の上で我々の周囲や内部で日々起こっていることは、
人間の社会を支配しているルールとは全く別のものだ。

信じ込んでいる制度、価値・権威(お金、ブランド)、美醜や善悪、感情や欲情の煽動、"殺し屋のストーリーはこうであるべきだ"・・、等など、全てのコントロールは、真実ではない。

本当は、この不思議な世界と、ここにいる自分(達)があるだけ、なのだ。

繰り返される同じ形、旅先の出会い、アート、降り注ぐ光、朝、夜、・・・「人生は何の意味もない」、だけどこの映画の中の「日々が続くこと」は、凄まじい新鮮さに包まれている。この映画は、世界の見方を変えることで、現実に革命を起こす。

そのためか、個人的には観賞後、しばらく動けないほど打ちのめされた・・が、全体的にはいつものジャームッシュのオフビートでスタイリッシュな世界観が楽しめる。
ウォン・カーウァイと「天使の涙」「恋する惑星」などで組んでいる、クリストファー・ドイルが撮影しているだけあって、その映像は、五感や、もっと奥の忘れてるような感覚まで刺激する豊穣さだ。

また、映画内の会話に出てきた『最近観た良いフィンランド映画』、恐らくカウリスマキの『ラヴィドボエーム』だと思うのですが、これもとても感動した映画です。
『ラヴィドボエーム』にはストーリーだけでもメロドラマ的な要素はあるけれど、
私が一番感動したのは、「木の下に女性が心地よさそうに眠っていてそこに光が射し、顔に葉っぱの陰影でまだらになった光が射している・・・」というショット。

美しさに感動したということだけではない、ただ、映っているということ、・・・。

映って、動いているというその根本的なことに、垂直に触れた瞬間が、あのショットなんだと思う。(個人的にはジャン・ルノワール『河』1951にしかあれほど揺さぶられるショットはないと言えるほど。あの映画の場合は、その正確無比さ(構図、動き、表情・・・にだったが・・・。それはロベール・ブレッソンのような何度もやって要らないものをなくしたような正確無比さではない。どうやって撮り得たのかわからないような凄まじく豊かな、正確無比(それしかないから。全てを含んでいるから)さ。生の歴史のある一瞬・・・。)

涙が出て来た。(ちなみに私はリミッツ〜でも、最後のよくわからないシーツのアート作品を見ているシーンで泣いてしまった・・・見る時期とか体調に影響されるとは思うけれど。)
(もっとも、カウリスマキの映画は、"リアリティ/現実"に対して、ジャームッシュ的な(生活的・・・?環境的、マクルーハンの言う様な意味で)な革命を起こすことはない。社会(世界)の片隅に対する眼差しーそれは映画がやってきたことだーも含めて、ただただ映画としてあり、だからジャームッシュのような人(メタ映画的な人・・?)が、それを引用する。("時たま、墓場に、名誉を返してやらなければと思います"ーレオス・カラックス,勿論,それもまた映画で、だから、カラックスもジャームッシュも映画で、しかも現代の映画なのだ・カウリスマキは現代の映画というよりは、映画そのものだ。引用される映画そのもの。)

どちらも生きていることについての基本的で、不条理で、そのため時に残酷だけど途轍も無く豊かで美しい何かがあるのだと思う。・・

地球上にある色んな物と出会いながら、この映画はとにかくミステリートレインに乗って前へ進む。

そして勇気と力と、リラックスした新しい世界のヒントをくれる。