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treasure

ニッポンヴィジョンズ審査員特別賞受賞作品 日本零年三部作第二部、『DUAL CITY』の情報は→ http://ek-stase.under.jp

日本零年三部作、第一作『イリュミナシオン』予告編

CLOSER

写真を撮るのは自分を癒す。その時々の、一番好きな人、一番写真化して、見たいと思う人を撮る。写真が出来上がったのを見るのはとても楽しい。自分とは別の力が働いている。そのことが、自分に、秘密を見せてくれる。そして私は、見たものを回復し..、癒されるのだろうか。ひとりきりではない時間の中に。

一方、現実では、そうやって、写真は常に一時的な今を撮り続ける。映画の様に、流れに身をまかせることはない。デュラスが1987年のインタビューで言っていた。私は書く時、文化的な記憶を全て忘れると。写真を撮るということは、そういった狂気を常に孕んでいる。

夜の木を撮る。何度も、何度も。朝の道を撮る、何度も、何度も。

さらに私は、出来立ての写真を覆う、人間的なもの全てを忘れる。友情や愛情が消えた後、写真は残る。

残っている写真は、自分とは切り離されて、一つの存在として残っている。

これが写真を撮ったことの目的なんだろうか?

写真は何度も何度も、変化し、とても凛々しくなる。

意味はどんどん変わり、他者として、問いを投げかけるのが可能になる。

これはなんだったのか?と。

確かに写真は私に思い出させる。

でもまだ、完全に忘れている写真はない。

完全に忘れた写真が始まる時、写真の意味がもう一段わかるのかもしれない。

 

アルフレッド・ベスターは、「報告するため」に、毎日書いていた。

私が写真に感じるエクスタシーと、対する律儀さの源は?

でも全ての行動は、未来とつながっている。

 

写真を撮ることで、おそらく、私の中の言葉の境界線が変化した。

言葉が、写真を見た時に生じる、偽りの感覚に勝てなくなった。

そこには歴然とした差がある。今目の前にいないこと。自分も相手も、別々にあること。

書こうとする気持ちの中にあるのは、書きたいという気持ちを昇華させたいだけのことでしかない、と、最近は思ってしまう。

でも本当は、その中から、何か、予想もしていなかったものが、きっとでてくる。

誠実さとは完全に遠く離れた、忘却の中から。