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ニッポンヴィジョンズ審査員特別賞受賞作品 日本零年三部作第二部、『DUAL CITY』の情報は→ http://ek-stase.under.jp

日本零年三部作、第一作『イリュミナシオン』予告編

new mv



haptic gaze、視線によって触れること
その視線は触れている。少なくとも触れることにまつわる何かについての欲望が、その眼差しにはある。

木下さんが、雪が降ってきて、雨に変わった時に、この映像を思い出したと言ってくれた。
そんな風に、何年か経ってからでも、突然、映像の中にあるものを、すごく近く感じるときもある。
 

焼き付けられたものや、それの現在的な意味の前に、何かに賭ける様な気持ち。それから、時期によって、完全に全く違うストーリーを見ているとか、(じゅりちゃんは昔、私が撮った彼女の写真を見て毎朝おはようというと言った、毎日写真の中の自分の、表情が変わると。)
 
 
..変わったのは映像を作って欲しいと言ってくれる人がいて、とても素敵な人が映像に現れてくれたり、手伝ってくれるようになったということ位。自分をひきこもらせずに、引っ張り上げてくれたのは、すごくポップな感情だった。この人と関わってみたいという。出会ってみたいという。やっぱり人であり、人の肌や、顔だった。自分の中にはない何かだった。風景は宝物でいい、事実でいい、心にしまっておけば。埋めていいといったあの人の様に。

自分へ、一人の他者へ、大勢の社会へ、自分の心の底(生物の記憶全体)へ、自分が求めているのは、とても矛盾した理想が引っ張り合っている何かで、早くそこに到達したくて仕方がない。
でも、ボヤボヤとしたものを持ちながら、待ち続ければ、それが自分の中にあったことに、当然の様に気づくのだろう。
セオリーは理解できるのだけど、体験や現実は(閉じ込めた感情の爆発は)それを驚異的に超えるから面白い。
 
ストーリーや順序とは全然別に、引き伸ばされた、(スローモーションの中の微笑みとデレクジャーマンは言った。)自分だけの感覚....思想とほとんど同義の.....を表現している人たちを味方につけたくて、私は映画をたくさん見たのかもしれない。自分が自分であることを、恐れる必要はないのだと。こう書いてしまうと、よく言われるスローガンみたいだけど、まさに。私は今年、新しいターンに入ろうとしている。夢の意味も、愛の意味も、成功の意味も、すべてを自分なりに刷新するつもりだ。より自分らしい方へ。彼らがかつて、私の心を炸裂させてくれた瞬間に引っ張られながら。生まれたままでは、生まれた意味がない。だけど生まれたままのものを、もっと見たい。


彼ら。。。。。。
デュラス。ピナバウシュ。デレクジャーマン。
一人挙げるなら。
デュラス。マルグリット・デュラス