読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ニッポンヴィジョンズ審査員特別賞受賞作品 日本零年三部作第二部、『DUAL CITY』の情報は→ http://ek-stase.under.jp

日本零年三部作、第一作『イリュミナシオン』予告編

Early Summer Gypsy

VOICES FOR THREE HEADS photography 映画 制作日誌

Early Summer Gypsy(5月の現状)

FH010031

 

 

 

FH010012

カリーナちゃん

 

FH000024

 

Early summer Gypsy

 

 

FH000015

FH000002

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

5月は特別な月でした。6月に入って、二人友達が東京から旅立って行き、だけどこれから長い付き合いになるだろうし、人生の選択を見つめることができるのが嬉しいと素直に思えた。昨日は川添ちゃんの映画を観て、やっぱりみんなが言うように彼女の作品を私も好きだと思ったどころか、ずっと考え続けてる。彼女が世界から鮮烈に火花や汗を散らしながら見せつけてくれるものがとても待ち遠しい。私は自分の心をもっと、覚悟を決めて開いていかないと。南米に行く前、クリスティーネさんと、ナン・ゴールディンや、森山さんの写真について話した。Keeさんから直接聞いたナンゴールディンの話。ナンゴールディンが本当にKeeさんを愛していたこと。ナンは嘘をついてない..少なくとも自分を守る様な嘘は..。そして森山さんに撮ってもらった時と、あとでその写真を見た時、それは私がいた瞬間なのに、思ってもみなかったものがそこにはあって、驚いたこと..クリスティーネさんは、オープンになることについて話してくれた。「森山さんやナンは、対象を物凄く愛してる」私は、「愛するものを、フィクションを挟まないで、現実を撮りたいと最近は思っている」と言った。具体的には私は、失くすと怖いようなものは、いつも巧妙に、隠してきたのではないかと思ったのだ。例えば美は、一番の隠れ蓑だったといまは思える。「本当の自分の人生、リアルを撮ろうと最近はしている」。もちろんそれは人間社会の枠組とは関係ないレベルの人生だ。 私は自分がオープンに人に接することができる人間だと個人的には思っていたため、もっとオープンになれっていう、その言葉には感銘を受けた。そして嬉しかった。その言葉や、ナンのことが、心にずっと残っていたのは確かだっただろう、5月は、私の秘密を一つ、明らかにした月だった。あきちゃんと須藤ちゃんと逗子の海で映画を観て、私はTシャツで行ってしまったので夜は震えるほど凍え、あきちゃんは私の腕をずっとさすっていてくれた。それから一つのタオルに入り、潮風と闇の中で、大勢の人たちの中で映画を観た。私は人との肉体的接触を避ける傾向があるので、そんなことをするのは、子供に戻った様だった。途中から麻衣ちゃんが仕事帰りにはるばる合流し、モスバーガーでコーヒーを飲んで、恋の話をし..帰りの電車の中で、打ち明け話を一つした私にあきちゃんは、「ナンゴールディンはいつでも好き。」と、その日二回目のナンゴールディンの話をした。「ライアンマッギンレーも昔は好きだったけど、でも何かかっこつけてるとこが見えてきて..でもナンは..」出来上がった写真の中で一番好きなのは、映画を観ているあきちゃんを私が横で撮ってる写真。失敗しているけど、ここまでの近さで、人を撮ったことはなかったような気がする。あきちゃんを撮ると、なぜかいつも近くなる。

渋谷に着いて、私が次は自分の心の中をもっとさらけだす映画を撮りたいと思っているというと、「でもそれってすごく恥ずかしいことじゃない?」と。あきちゃんのこの"YES"が私には嬉しかった。

FH000012

 

 

 

 

aki

 

クリスティーネさんは私に、「sceanaryが撮りたいんでしょ?」と..クリスティーネさんが私に撮られた時にそう感じた、と。(これはとても貴重な意見だった..)私はとっさにそれは違うと言ったけれど、実際その時はそうだったと思ったし、だけど私は風景を撮っている時さえ...  カリーナちゃんとした写真の話、、なぜあの手すりの写真が、向こう側に川が見える... あれほど不思議な感覚を呼び起こすのか?私もかつて観たことがある何かだからではない。そこには写真家の気持ちへの共感は一切なくて、その人がかつて見ていたものを私が見ている、という事実だけがあって、それに感動する..。現状はそう思う。

 

写真と現実との差こそが写真であると..?まだ完全には、完全につねに掴んで反映できる様な形では、理解しきれていない..五月はいい写真を撮る機会に恵まれた。南米での写真は、設定したハードルが高すぎたからか、"手も足も出ない"という感じだったと自分では思う。もちろん好きな瞬間はすごくあり、簡単には出せないものもあるし、そういったものはやはり、特に直立的な勇気を出して、シャッターを切った時だったと思うし、覚えている(でも覚えているというのがいけないのかもな)。それにしても私が観た南米にはもっと凄まじく沢山の可愛い女の子、男の子がいて..、でも惹かれれば惹かれるほど、拒否されることが怖くなる私の性格も災いして、今も記憶の中ですれ違った瞬間や、ウィンクされた瞬間を、反芻するのみだ。

 

実際私は、いま写真のことを書き、熱心にみんなと語ったことを思い出しながら、それで心は、別の世界の出来事、一つの戯曲を元にした..を考えている。

いま出会っている様々な現実や非現実を一つ残らず仲間にしながら、

2017年の9月には、その世界に招かれるようになっていたいと。

 

..VJのことも..。最初は6時間ぶっ通しなんて無理だと思っていたけど、守屋くんと実際に始めてみると、音楽を聴いて守屋くんの出してくる映像と、自分の映像が化学変化を起こしていくのを見ているだけで、完全に時間を忘れた。私も正直人生で1、2を争うほど自信がついた出来事だったが、軽々と付き合ってくれた守屋も守屋くんですごいと思う。

それから、のーまちゃんや守屋くんとは、もう何をやっても成功しかしないなと普通に思った。

終わった時に言って貰った、「それが情熱ってやつなんだろうな」っていう言葉、自分の中に、隣にいる人の中に、思ってもみなかったような、大きな情熱があるという、その考えがとても好きだ。

moriya