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ニッポンヴィジョンズ審査員特別賞受賞作品 日本零年三部作第二部、『DUAL CITY』の情報は→ http://ek-stase.under.jp

日本零年三部作、第一作『イリュミナシオン』予告編

con palabras,bajo la ceniza

film-

エスとペトロの言葉。

「私があなたを愛しているのはあなたがご存知です」

このセリフが時たま到来するのはなぜだろうか

でも、この言葉の中には、slaveの感覚があるなと今思った。

 

今回は、宗教への憧れは封印し、私の楽天主義の部分からは距離を置く必要がある

私にとってキリスト教は、教育されたものではなくて、18になってから、神学部の先生や、教会に来ている人たちを遠巻きにみて、感じたものだ。物凄く憧れの気持ちがあった。それは自分とは遠くにあったからだ。キリスト教的なものは私から常に遠かった。そして聖書もまた、理性的な解釈ができる年に初めて通読した。(私は新約聖書が本当に好きだが、そこにはハリウッド映画の典型的なプロットがあると考えると辛い気持ちになる)幼い頃から厳格に教育として受けていたら、反発すべきもの、もっと葛藤を生み出すものだったろう。それは、自分が生まれる前にあったもの、自分の了承を得ずに、あったものだ。私がイエスの話が好きだなと思うのは、全体的に世界に対するおおらかな信頼(そしてそれに答えてくれる世界観)があること、キリスト教が権威になるまえの、権威に対して立ち向かっていく態度、そして、ペテロの裏切りと、後悔。(油を足に塗る女も)

「私があなたを愛しているのはあなたがご存知です」

これほどまでの愛があって、それは嘘ではないのに、怖れから裏切ってしまう。

それはあるだろうし、両立する。そういったわけで、ペトロは愛の奴隷ではなかった。でもペトロの中にはそのあとでも、確かに愛があったから、全ては復活した。

(↑ブログに残ってた、ずっとまえの下書き。)

 

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復活とは何なんだろうか一体?

デュアル・シティ の裏には個人的なモチベーションとしては、ラザロの話があった。

 

ラザロは、現実的に、肉体的な復活をしたのではない。周りの人間の、死の見方が変わったのではないか、とそんなことを考えていたような

永遠に、いまこの瞬間に、考え方一つで、触れるような

何かいつも考えているような気がするのに、しばらく時間が経つと忘れてしまって、形になったものだけが残るのは不思議だ。


この下書きも、一体なんの動機で、どういうタイミングで書いて、置いておいたものだったか?真面目っぽくて、恥ずかしくなったんだろうけど。宗教への憧れを封印しているという、「今回」が指しているのがなんなのかも、よく分からない。