Truant

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MINOR SCALE 四月-六月 卵から生まれ..

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短歌に悲しいほどハマった。

それはすなわち、歌人たちと、彼、彼女らの日々と、これから1200年間を遡って出会える、出会ってしまうことだとも、本邦雄から教えてもらった。

 短歌を意識し始めたきっかけ(塚本の「詞華美術館」、「秀吟百趣」)、次に読んだ本(岡井隆の「今はじめる人のための短歌入門」)があまりにも短歌にぞっこんだったので、私もまた、心の底を、夜な昼な、過去・今・未来にサーチライト巡らして、ささいな発見、センセーションや情、おびき寄せられ浮かんでくるもの、を57577で搦めとることの難しさと面白さ..、に惚れ込んでしまった。
 しかしまた、自ら詠まなくても、ゆるやかな螺旋の階梯が、精神の層を、字で、音で、イメージで、昇っていくさま、綺麗なビー玉や石を集め、光が屈折して太陽の高さ雲の動きが変わったりして、それを遠くからただただ見るような、不思議な時間を持つことに、生きる意味を感じている。

 きっかけは、さらに十くらいあるが、何と言っても博子さんや、時にはゲストも混じっての、関西での一週間ものあいだ語り合った哲学、人生、文学。

 互盛央の「エスの系譜」は、歴史的な役割を担って登場する個々人に対する私自身の感覚を変えた、と同時にその情熱的な語り口で連綿と続く男系への疑問もあり、偶然同じくエスの様な、自我のない新しい主体について考えていた博子さんの系譜には、ドゥルーズの次にシクスーという人が続いているのを知って、(私自身は系譜を読みながらずっとデュラスについて上手く言葉にできたら良いのにと考えていた。)とてもホッとしたと同時に、面白く思ったのだった。

英米文学ではガリヴァー旅行記の時代、18世紀頃、歴史に埋れてしまった女性作家がいたらしい。私はいわゆる女流文学という単語が好きではない。

<女流文学>

女性の手に成る文学。女性に特有の豊かな情操や繊細な感受性を生かした主観的,抒情的な作品が多く,客観性や構成力を必要とする文学,たとえば劇作では,すぐれた作品に乏しい。しかし特に小説の領域で多くの偉大な女流作家が出ていることが注目される。

この説明は幾ら何でも酷いと思うが、言うまでもなくほめるようでいて実際は限界を設定しているからだった。しかし、博子さんのお話を聞いて、色々と腑に落ちたことがあった。ガリバー旅行記が象徴的に示す様に、その頃の時代、広い世界を見始めた男性たちが書いた冒険譚が流行した。と、対称的に、行動範囲の狭くせざるを得なかった人たちがいた。だから彼女たちは自らの周囲をじっと見て、内面を仔細に書き、はじめた、つまりそれは、女性性なるものの本質ではなくて、与えられた環境で出来る限りをやった結果。でも、既存のものを真似することではなく、とても内省的で、勝つとか負けるとかではない、新しい、未だ可能性が尽きていない道を切り開いた。また女性文学 Écriture féminine  は、このウェブの辞書の説明にある様に必ずしも女性が書くというわけではないと博子さんは言ってもいた、例えばシクスーはジュネもそのなかに入れている、など。そして、このお話の中で、ふと、源氏物語はどういうことなのかという疑問に至った。辞書はこう続いている..

女流文学の草分けは有名なギリシアの情熱詩人サッフォーであるが,それ以外には古代,中世を通じてみるべき女流作家が出なかった。日本の平安時代に『源氏物語』の紫式部をはじめ,清少納言和泉式部そのほかの偉大な才女が輩出したことは特筆すべき文学現象である。女性の社会的,文化的地位の向上とともに,女流文学は次第に伸長していき,19世紀に入ってからはめざましい躍進が続いた。

「そういう意味では、日本はすごいとこあるよね」という話になった。まだ万葉仮名やひらがな、時代時代の勅撰集の経緯も全然知らなかった。今はややかじるところとなった。

万葉集を読む

 

そうこうどっぷり過ごした私の大阪の春も終わりに近づき、最後にどうせなら京都に行って帰ろうと思っている、と言った私に、博子さんが「奈良が合っとるわ」と、折口信夫の「死者の書身毒丸」をポンと渡してくれ、電車で一人奈良へ行くことになった。(長くなるので奈良の旅についてはまだまとめられていないが、例によって、山歩きをしてきた。)

今、少しだけ、個人的に短歌的と感じるひと時を思い出した。

起きて下に降りるとキッチンで、博子さんがいて、メガネをかけてパソコンで仕事をしていた。風が通っても心地よく、日差しの色が明らかに変わっていたので、

「暖かくなりましたね」と私が言うと、博子さんがふと、外を見て、横顔のまま

「そうやね、昨日まで三寒四温やったけど、もう戻らへんわ。」

と言った。そのときのキッチンに入り込んでいた風。

 

最後もう少し話せればと、モノレールに一緒に乗ったM先生が壁にもたれ、そのオレンジ色の窓から、いつも乗っている電車より遠くに、街が光っているのが見えたこと。

 

天川村へ行く日、下市口でバスを二時間待つことになった。近くに待つお店とか、見るところはありませんかときくと、何もない、でも吉野川があるから行くといい、と停留所で教えてもらった。小雨降る中、川で一人、長いこと石を見たり、花を見たり、流れを見たり、写真をとっていた。ふと気づくと、白い石ばかりの土手の上で、犬を連れて立ちながら、こっちの方を見ている人がしばらくいた。近づいてバスに乗り遅れたことを言うと、奈良の男性によく見られたのだが、ちょっとシャイにニッと笑って、あぁ、この辺喫茶店もないからなぁ(奈良の言い方をわすれてしまった、、あらへんしなぁ、だっただろうか)(犬をしばらく動くに任せた後)まぁゆっくりしてきいや。...川なんやから。..と、ゆっくりと言われた。当然のことだけのはずだけど、よく考えると論理的なのかわからない結びまで、その男の人がひとつひとつ、奈良の言葉を発するたびに、現実が歪んでいき、いざ"川"に至るとき、その"川"は、この巨大な、我々が今現在佇み、待っている川でもあり、この時空を超えて、絶ゆることなく流れ続ける何か、場所、でもあるのだった..。

 

 

...随分脱線してしまった。短歌..他にも、百合子さんにフランス語を習って、伝達の道具としてではなく、言語自体の面白い感覚がわかったこともあるし、和泉式部若山牧水には学校の時分から親しんできたし、寺山をはじめとして色んな人たちの影響ももちろんあるとは思う。そして、此処へ来て歴史や自然が好きな、母の影響が出て来ている、ということも、発見してしまっている。

 

作った歌の中から選んで、MINOR SCALEという、高校時代からずっと書きたかったが、書けないでい続けている、物語のタイトルをつけた。「マイナースケール」は「短調」という意味だが、その物語の中では、猫殺しが続く町、完全に見捨てられた傍流を無意識に生きる中学生や、今となってはユーチューバーという言葉があるとおり、珍しい現象ではなくなってしまったが、ネットポルノで小遣いを稼ぐ映画監督志望が出てくる。昔のブログには、飛び散った破片を載せてある、これは傑作だけど、完成しないから、これだけであり、ぼやぼやと、このままあり続けるだろう。私はこの未完成、私が自分の内面でふやかしたまま出せなくなった手紙、弟恋と、激つ/凪を愛す。

yoknapatofa.blogspot.com

 

Minor :  (大きさ・数量・程度など他のものと比較して)小さいほうの、より少ない、少数派の、(地位・重要性などが)比較的重要でない、大したことのない、二流の、(効果・範囲などが)小さい、目立たない、副専攻の、短音程の

 

短歌なら、MINOR SCALEで私が浸かりたかった感覚、出会いたかった人たちの言ったりしたりする思いがけないこと、知らない世界のディテールが、形のある対象に、仕上げられるのではないかと願っていた。でも、実際には似ている部分もあり全然違うものへの有機的分解が起こっている。

 

「万葉」、「古今」、「新古今」みな怖ろしいと思う。その頃の歌人に感覚的にも技術的にも、あらゆる意味で及びつかないもの。このごろ、彼らの世界に深入りすることによって和歌というものの宿命とか業とかいうものがよくわかるようになってきたのです。 本邦雄(現代歌人文庫 続本邦雄歌集)

 

1200年前の万葉仮名によって1200年運ばれ、今、ここに、現れる絵のない幻。イメージのないイメージ。1200年前の現実。いちばん初めに近いということ。
中央集権制のやり方がどうだったかとか、政権の問題とか、万葉集には当時の身分の高い人たちしか出てこないとか、色々考えることはあれど、残った言葉はこれで、その時は写真も、映像も、月に誰もいないことを知る望遠鏡もなかった。

 

まだどうすれば歌になるのか搔き消し線だらけのノートだが、とにかく自分の記憶だと確かめられるものと境界線も曖昧に、隣にある、どこから来たかわからないイメージや情感や記憶は呼び出せるということ..(自動書記はやはり日本語には合ってないんだ!英語用のメソッドなんですね、)、そして言葉、日本語、日本(今、日本、と書くのも精神的な抵抗があった..実際には、電車が走りながら、窓の外に「飛鳥」の地を見たときのようなひずみ、自分の国家的なアイデンティティは、どんどん地割れしてきている..自分の故郷がどう言ったものなのかという正解は、さらに遠くなった..)語の中にある何かもしかしたらエス的な系譜、それ自体が、見当もつかないほど、掘り下げられるということだけはわかった。そして言葉の力を忘れてしまっていたなとも..。

防人(さきもり)たちよ、邦雄氏が大きく呼びかけていたこの言葉、前衛(さきもり)。

 

 

最後に、現時点で好きな歌について書かせていただきたい。

万葉から連なるアンソロジーという形式にも、独特な面白さがあるけれど、その後一人の歌人の歌集を読むと、多くが1冊から数冊で、歌い始めた初々しい頃から、死ぬ前の最後の一句として遺されたものまで、千〜数千の歌が、読めてしまう。

一人の人間が、青春時代を過ごし、働き始め、苦労したり病気をしたり、恋人ができたり、別れたり、結婚をして子供を産んだり、雨が降ったり、花が咲いたり、戦争が起こったり、誰かが死んだり、歌をやめたり、戻ってきたり、またある時はその人もなく、不思議に空虚な/恩寵に満ちた、情景。私が今回初めて買った単独の歌集は(邦雄や西行を置いて)、古泉千樫。続けざまに長塚節。この二つはなぜか一番近所の本屋にあった。正岡子規斎藤茂吉も。売れ残っていたのかアララギ派押しのお店なのか。この二つの歌集を読むことで、歌というのは、どの人のものも素晴らしいと本気で思うことになった。これは、安易に言っているのではなくて、小説やエッセイや映画といったものが肉薄しようがなく、また表現の術や勇気すら持たないものを、短歌は持てるという感じが何かある。日記ともまた違うのは、それは表現か表現でないか、その努力.....(?)ということになるのかもしれない。(だから、一神教の文化のもとでは、神に対する告白としての日記文学が一表現として可能なのかもしれない。)かといって、短歌は(みんなの前で詠むのは別として)表現にしながらも、誰かを念頭には必ずしも置いていないだろうと思う。だから、一つの、確信出来る対象があるとして、それを予感させるものが、歌の律なのかもと思う。

 

他人とは思えないということは、短歌のまた一つの特徴かもしれないな。作歌でもこれまでの歌を読むことは前提とされている。映画や他文学でも古典に学ぶとか、引用はあるけれど、短歌はもっと繋がってしまう。

 

短歌における作者と読者の関係は、そういう主客がごちゃごちゃに混じり合う快楽を主軸とする関係なのである(省略)つまり、一人称詩でありつつ、一方で、「作者未詳」「詠み人知らず」でありうるのが短歌の本質なのである。

融通無碍な<われ>である。開かれた<われ>である。おそらくこれは、日本人の<われ>観の基底をなすものであり、長い時間をかけて醸成してきた日本文化の特質をなすものなのだろう。

万葉集の〈われ〉 - 佐佐木幸綱 - Google ブックス

 

 

 

大正四年に長塚は亡くなったのだが、この年が、個人的に一つの指標となり、多くの歌人たちの流れ星が隣り合って飛んで行っている。その後、折口信夫の別名だと知らぬまま釈迢空、春日井建、明石海人..と読んでいて、

 

開く本、開く本、その歌や人生に、魅入られてしまうのだが、長塚節が好きだった。

 

抱かばやと没日(いりひ)のあけのゆゆしきに手圓(たなまど)ささげ立ちにけるかも

世のなかをあらみこちたみ嘆く人にふりかかるらむ菩提樹の華

鴨跖草(つゆくさ)の花のみだれに押しつけてあまたも干せる山の真柴か

葉鶏頭(かまつか)の八尺(やさか)のあけの燃ゆるとき庭の夕べはいや大いなり

泣くとては瞼に當つる手にごとく茅花や撓むこのあめふるに

ひそやかに螫さむと止る蚊を打てば手の痺れ居る暫くは安し

山茶花のあけの空しく散る花を血にかもと思ひ我が見る

うつつなき眠り藥の利きごころ百合の薫りにつつまれにけり

 

などなど..

与謝野晶子はどうせなら全部読みたいけど、有名なものでも、この弟や、海の歌がすごく良かった、またエロスもいい

 

をとうとはをかしおどけしあかき頬に涙ながして笛ならふさま

乳房おさへ神秘のとばりそとけりぬここなる花の紅ぞ濃き

いざよいの月のかたちに輪乗りしていにける馬と人を忘れず

 

 

また、明石海人、こちらはまだ全て読み切っていないので本当に楽しみだと思う。

 

 

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歌詠人あまねく愛し永らへる川なすさだめ渾身に浴び

 長谷川億名

 

さだめと雨を掛けてみている..。

またうたよびと、は、歌が呼ぶ人、歌呼び人、でも。