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The diary of Yokna Hasegawa

改定 : 記憶技術の優れたプエルトリコ人の不思議な日記 1「ある夏に聞いた話」と2(2016)

 

 

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2.「1827年6月6日」

ある回の私にとっては、世界とは自分が参加できないゲーム。それは既に終わっていて、響いては逃げていく無限の輪、スロウな振動の束、靄に過ぎない。だから私にとって宇宙は、白いミルクのようなぶっ飛んだ液体だった。黒い宇宙が埋め立てられたのは、時代が私に追いついたまでの話だ。

 埋立地はメッシュ状で、穴が開いていた。その穴にはかつて瞳がハマっていた様な、何かを眼差した跡があり、同時にそれを失ったような深さがあった。

 

テオと会ったのは66日のことだったー大雨の中。私は歴史のリサーチで空中を飛び回っていた。テオは濡れた街の静かな分かれ道で俯いていた。自らの神と共同体と、まだほとんど知らない生命への憎しみ、それと境界線の無い愛、または恐怖、の何本もの手で挟まれて一人、潰されることを選んだ。一つの空っぽな道と、テオと、雨粒と、何匹かの虫が吹き飛んだ。私だけが見ていた。

私はパトカーが聞きつけてくる前に、地面から、テオの砕け散った抜け殻を拾い集めた。

そして自分をしばらく納めておけるもの、その中で跳ね返ったりして遊び回り、遂には像を結べる物―レンズを作った。

テオという名前はその時につけた。その夜、焼け焦げた街角には赤いネオン管の看板に、煙を立てたT・E・Oだけが震えて残っていたから。

 

レンズと私の体があれば、その擦過熱で、何処までも透明に世界を見通すことができる。だから私はテオを通して、全てが爆発的に生まれ、揺れ、消え去るのを感じた。近づいたり遠ざかったり、自分の想像を遥かに超えたものが生成されていくのを。でも本当はそんなことよりずっと根本的に、楽しいことがあった。それはテオと一緒にいることだ。

 私はテオを通って、愛を見出した。テオの体を行ったり来たりすることで私の散らばった雑念は集中し、物質界と調和し、明るい火を起こした。

 テオは、透明であることを宿命づけられた人だった。だから毎日三度のお風呂。私はテオの体を良く洗った。私なりに。だけど私に似て、テオはいつまでも、少しだけ曇りのあるレンズだった。

 

 ところで、そんな時間はすぐに奪われることになった。エントロピーの収支が合わないのが見つかり、私は罰せられたのである。私はテオと引き離され、墜落と上昇を繰り返す刑に処せられた。

 

世界は卵の様に攪拌され、白濁して体中に流れ込む。そしてあらゆることとの存在的な繋がりに間違いを感じ、怒りのような気持ちしか持てなくなる。私は何度も関心の無い球体に向って激しく墜落した。その無限の繰り返しの中で、私は忘れた。テオのことさえ。でもいずれにせよそこにテオがいたら、あの頃とは自分がすっかり変わってしまったことも考えず飛び込んでしまい、壊してしまっただろう。

 ただ地上に落ちた後、引きあげられる前の虚脱感の一瞬だけは、空白の中で急に何もかもがはっきりして鮮やかにわかり、テオを通って私の存在が、初めて像をつないだ時の驚き、その全てを始めから司る恐ろしい偉大な眼差し、が突然背後に感じられることがあった。

そしてまた、天上に鎖で引っ張り戻され、氷の粒の層に削られながらぎこちなく通り過ぎる時には、目を細めると、乱反射の奥に、「真理」の実在の確率が乱れながら揺らいだ。それは懐かしい動作だった。そしてその後に残るのは途方もなく、説明もつかない、どうしようもない、遥かな不在感だった。

 

ある時、その繰り返しの中、私は地上に墜落し、彗星の様に穴を開けた。廃車を浸していたオイルの泥濘に突入し、私の一部は天に上昇していった、残りの私は燃え広がり、雨から逃れ、廃墟に迷い込んだ。

私は乾いた塵を伝いながら、重力につかまった精神どもを天空に戻してやった。私は磁石質の山の様に佇み、沢山の軽い物を吸い寄せた。それまでこの家の主人だった、美しい花や草や黴が浮かび上がって私の中に入った。そのたび私は大きく強くなった。動くものたちは私を恐れ逃げまどったが、追いかけた。布きれに纏いつき、柱を駆け上がった。凄まじい興奮だった。

無我夢中でいると、机の上の一通の封筒がふと目についた。私は燃え移り、筆跡を感じた。「T・・様」。読むとその部分はすぐにボロボロになった。

T・・。もう一度と思ったその時、水が襲い掛かり、手紙と私を引き離した。とてつもなく柔らかい月の様に、焦げた手紙が浮いた。私の大半は殺された。私は咄嗟に月にしがみつき、温もりとなって水と混じり合った。私は勢いよく流れた。目の前に下水道が出現した。避けるまでもなかった。そして急激に近づいてくると、私を飲み込んだ。私は滑り落ち、凄まじく汚れた。呆然としていたが、ぬるぬるする壁に押し付けられながら進んだ。最初は息苦しかったが、力を抜いていればどこかへ辿り着くだろうと思い、とにかく気をしっかり持ってほとんどのことは忘れた。そうして淀んだり乾いたりして、すり減りながら長い時間を過ごしていると、ざわめきがあちこちから寄ってきて、集い、並走してくるのがわかった。みんな出口へ向かっているのだ。闇に白い穴が開き、落ちてくる星の様に眩く巨大に迫ってきた。反響はやみ、爽やかな解放感と新しい風が私を振動させた。そのまま広い場所に進んでいるととても小さい者たちが私にとりついて汚れを食べて除いた。

 

そこは昇天川の上流だった。そこで私は、テオの重力に引っかかった。テオに会うと私は、すぐわかった。虚無が満たされたからだ。

私は昔の様に透過することは無かったが、テオの回りを渦巻いてのぞき込んだ。

テオの体からーーKmの距離を、何本も筋を引いて私が流れた。

 

黒い宇宙は埋め立てられ、白い宇宙になる。

後は心の中で、横切ったものの残像を、つなぎ合わせて過ごす。

でも朝と夜が会えないように、すべてははなればなれになっていく。

その時どうしようもなく広がるのは、擦過熱の思い出であり、回転の笑いであり、それまで思ってもみなかった、新しい波のシンクロする唄だ。

 

夜空の中、私は小魚たちに紛れて流れた。テオを入れて、いくつかの光をつなぎ星座を新しく作った。テオは傾きながら回った。強い恒星を背景にするときは、両頬に横線を引いたインディアンの様だった。

白い宇宙は密度を増した。

やがて私とテオは小魚に飲み込まれ、柱となって群れで泳いだ。大昔、空を飛び回った感覚と少し似ていた。

星が降り始め宇宙を打つ振動が私たちを刺激した。私たちは喜びで狂ったように泳いだ。深い場所に潜ると星は消えた。少し暗くなった。目がそれに慣れると、大きな羽のない飛行機と、それにぶつかって死んだのか、仰向けになった巨大な魚の骨が、青白く、細胞の様に震える泡に取り巻かれて沈んでいた。小魚たちは狭い所をぐるぐると、その骨に沿って泳ぎ回って遊んだ。私もとても嬉しくなり、必死で泳ぎまわった。お祭り騒ぎだった。

光ったり回るものは好きだった。星降る日には、一番最初を思い出すから。大きな影が私たちの上にやってくると、やっと母親に会えた迷子の様に、その手を固くつかんだ。それでも思い出せるものは、最後には5つか6つくらいになる。それは紛れもない、宝物なのだ。