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The diary of Yokna Hasegawa

政治の勉強 1

RA: DJはパレスチナのために立ち上がるべきか?イスラエルの文化的ボイコットに対する各自の視点

 

RA: Should DJs stand for Palestine? Perspectives on the cultural boycott of Israel

 

やや古い記事で申し訳ないのですが、とても勉強になりました。特に各自の視点があるところ。

 

断続的になってしまっているけれど、知ることを続けていきたい。

もしも私の言動で、思慮の浅い部分、間違った知識と思えることがあれば、

気にせずに直接言っていただけたら有難い。

自分は会話したり、その場に行くことで初めて知識が根付く性質があって、

友達内で勉強会をできればなと思うことが良くある。

 

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イスラエルのテルアビブでは一度、デュアルシティを上映したことがあり、

曲がりなりにもあの映画は、UNITEについての話なので、

意外に思うと同時に、嬉しかった記憶がある。

またこないだのベルリナーレでも、タルベーラの撮影監督が先生だという、凄まじく巨大な時空間の絵をとるシネマトグラファーの子が、一緒に映画を撮りたいと言ってくれて、驚いたが、イリュミナシオンと、デュアルシティの中のスロームービー、SFの要素が魅力的に見えるらしかった。でも無意識的には分裂やUNITEの設定も、近く感じてくれたのかもしれない。

私は、この記事にある、ブライアンイーノとは違って、芸術は人を変えると思う。文化的貧困は、視野の狭い人たちを増やすだけだと思う。

でも「NO OLYMPICS 2020> 反五輪の会 (Hangorin No Kai)」などで活動されているアクティビストのゆうこさんから、ボイコットの効果についてもお話を聞いていたばかりだったので、参考になる記事だった。

 

前の記事のYemen bluesは、イスラエルの国民的人気のあるバンドと、ニューヨークでめぐちゃんの紹介で知り合うことができた、The fugu planの、yukaさんから教えていただきました。ライブの際には、アラブ人を必ず一人はメンバーに入れるそうです。

これまでは全く関係のない(出自ではない)ということで、自重していた問題、

たとえば外国人が福島県に来て何かを撮ることに対する違和感が勝っていたのだが、

だからといって、那須塩原に住んでいる私が100キロの近さの福島について映画を撮るか、那須塩原の瓦礫や政治について直接的な映画を撮るかといったら、直接的な映画は、はっきり言って撮れないのだ。土居さんのドキュメンタリーが良い映画だと友達がいっても、トレイラーを見ただけで心理的に拒否反応がある。

だから、色んな作品があるべきで、重要なのはその後の議論だと思うようになってきた。一番の問題は批評の回路が全くないことな気がする。バンコクナイツの最初の方の上映のとき、女性やタイー日本の描き方、マッチョ的に履き違えたゲリラ思想についてネットで違和感を表明していたのは少なくとも私と、セックスワーカーの支援をしている要さんという方だけだった。だから私も誰も言わないんならと、そんなに節穴だらけならと、書いたけど、セルジュダネーみたいなひとがいてくれれば、私は自分の手を汚して友達を失う必要なんてない。

ただ、セルジュダネーはいないということと、

 

マクルーハンとはとっくの昔に言っていたことだけれど、今幅を聞かせている言葉や視覚の時代に未来はないと思うようにもなってきた。自分が映画が好きなのは、圧縮具合と、動きの古代感と、映画館の音声のズレと、光の粒子だし。こないだの展示も一切映像使わなかった。言葉も、英語で書ける範囲の指示のみ。

 

あと感情について、もっと大々的に、五感の一つレベルの冠を与えて考えてみようかな。Obstacleとして、Possibilityとして

 

タイトルに対してまた散漫な締めになってしまうが、とにかくいろいろ生成されてはきている、基本的にはニューロンに任せている。